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興亜ビル

北海道/札幌

札幌市中央区南1条西7丁目15番地

■レポート

小川さんのリクエストに応え(笑)リクルートの北海道のルーツを探してきました。住所は教えていただいた札幌市中央区南1条西7丁目15番地。札幌での暮らしが長いので あそこかな??と当てはついていたのですがあちこち歩いてみましたが 興和ビルというビルは見当たらずGoogle Mapで検索したら この駐車場でした。考えたら、もう、ん十年前の話ですし、ここは市電通りに面していて当時は大通と狸小路の狭間にあって賑わっていた場所で地上げとかで栄枯盛衰の激しい場所だったのではと記憶しています。ネットであれこれ探して見ましたが なかなか情報がなく北大図書館までいけば、当時の市内中心部の地図があるようでしたが。ただ、なぜ、この場所を選んだのか…興味はあります(笑)当時としても札幌駅前がやはりビジネスの中心でしたがメインの銀行筋(北海道拓殖銀行、北海道銀行)の本店は大通でした。ただ、個人的に好きな飲み屋の多い狸小路にめちゃ近い(笑)そんな理由はないとは思いますが(笑)すすきのも近いですし。当時は今よりも平均気温が低くて、2月なんかは日中でもマイナス5度を超えない日が多く、朝方はマイナス13度ということもありました。まだスパイクタイヤOKで、アスファルトを削った粉塵でさっぽろテレビ塔がかすんでいたことを覚えていますが とにかく今よりめちゃめちゃ寒かったんです。なんせ 冬季オリンピックを開催するくらいですから。そんな 寒い札幌で産声をあげたであろうルーツの地を目の当たりにできたことで、当時に思いを馳せることができて良かったです。この興亜ビル(跡地)、三博ビル、三和ビル、大通り公園ビル(ヤクルトビル)、アスティ45と連綿と続いていることに感慨を覚えました。ちなみにアスティ45は今の勤務先の道路向かいですし、アスティの地権者には自分が転職した会社も名を連ねていてよく地下の居酒屋に飲みにいきました。(Satoshi Ootani)

・コメント

あの時代に地元の土地勘 地縁 ネットワークのない方が 拠点を立ち上げるということがどれほど大変なことか、転職して本当によくわかりました。慣れない気候(特に冬)都市間の距離、人とのつながり、今のようにオンラインはなく、もっぱら飛び込みかアポ取り(Satoshi Ootani)

大谷さん、ありがとうございました。北国での営業の様子を想像したら、胸が熱くなりました。札幌営業所が北海道事業所となり、支社になりここにも確かな歴史が…。(小川朝子)

(電話ーー;)札幌は開放的な気質ではありますが、それでも横文字の会社って危ない感じじゃないですか(笑)そういえば上司の諏佐さんが「大谷!! 高校 大学の講演 全部やるからどんどんもってこい!!」というのがミッションになりました。採用も頑張れっていっていただきました。地域に根を張るということがものすごい重要なんだと諏佐さんは理解されていました。転職先ではそのリレーションを作るという経験が本当に役立っています。自分の本当の成長はリクルートを卒業してからの10年でした。地域の役に立ちたいと心から本当に思えるようになったのは この10年かもしれません。(遅すぎ^^;)でも今はこの土地に貢献したいと思いで仕事をしています。(Satoshi Ootani)

なんせ学校訪問や営業は飛行機でいった記憶がありますーー;(Satoshi Ootani)



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