■レポート
創業のビル「第2森ビル」、2か所目の本社ビル「第4森ビル」、そして創業から4年後の1964年9月、神田の長谷川第三ビルからまた新橋に戻ってきました。「第3森ビル」。
【兵どもが夢の跡】を調査&取材してわかったことは、リクルートはほぼ新築のビルに入っているということ。新しいものが好き?(うんうん…)江副さんが社員の職場環境を考えてのこと?(あるね…)かは、わかりませんが、竣工と入居がほぼ一致します。
しかし「第3森ビル」は、1959年7月竣工なので、まっさらな新築のビルに引っ越したわけではありません。とはいえ、森ビルのホームページには、「1959年に竣工した西新橋3森ビルは空調入り賃貸ビルのはしりであるだけでなく、テナントが使用できる有効面積の比率も高く、画期的な建物として業界の話題を呼びました」と書かれています。“画期的な建物として業界の話題”のビル、さぞや先輩がたは盛り上がったでしょう。
さて第3森ビルの場所、カモメモリーズのお宝の当時の採用パンフに記載がありました。住所は、「港区芝田村町1-7」。しかしまたもや港区の町名変更で、すでに芝田村町は廃止されています。わー、どうしよう。また芝地区の旧町名由来板を探すか…。タイヘン。
前回投稿した第4森ビルの跡地は虎ノ門ヒルズなのか??を確認するために、森ビル広報にお電話し、ついでに、第3森ビルの今の住所も教えていただきました。すでに森ビルの所有ではなくなっているものの、住所は、「港区西新橋1-4-10」と記録があると教えていただきました。
さっそく、新橋に向かいました。港区西新橋1-4-10は、西新橋交差点の西新橋スクエアの裏手になります。採用パンフのとおり、西新橋交差点(当時は田村町1丁目の交差点)には、日石本館があり、1962年~2011年まで、日本石油(のちの日石三菱→新日本石油、現在のENEOS)が本社を置いていました。第3森ビルは、地上8階・地下1階建、空調入りの画期的な建物でした。「46坪、家賃1か月40万5000円、管理費冷暖房費約5万円」と周年誌にありました。
そして1年で手狭になり、1965年9月にニュー八重洲ビルに引っ越しとなります。第3森ビルの時代に、テスト部から性格類型検査TI型が開発されました(1965年4月)。大沢さんはこのころ入社されていらっしゃいます。
みなさま、創業の第2森ビルからグラントウキョウサウスタワーまで、本社所在地10か所をコンプリートしました。兵どもが高い志と大きな夢を持ち、たゆまぬ努力を懸命に続け、喜びや悲しみを分かち合いながら、全身全霊をかけて働いた記録【兵どもが夢の跡】は、しかと「カモメモリーズ」に引き継いでいきます。あと6日、絶賛~投稿をお待ちしています!
<本社所在地の変遷>◎は「兵どもが夢の跡」で発掘済み
◎昭和35年(1960年)3月:第2森ビル
◎昭和35年(1960年)9月:第4森ビル地下
◎昭和37年(1962年)7月:第4森ビル4階
◎昭和38年(1963年)4月:三幸ビル
◎昭和38年(1963年)8月:長谷川第3ビル
★昭和39年(1964年)9月:第3森ビル
◎昭和40年(1965年)9月:ニュー八重洲ビル
◎昭和42年(1967年)11月23日:神田橋第一ビル
◎昭和47年(1972年)8月20日竣工:リクルート西新橋ビル
◎昭和56年(1981年)4月:リクルートG8ビル
◎平成20年(2008年)1月:グラントウキョウサウスタワー(糸藤友子)
・コメント
素晴らしいレポート!カモメモリーズホームページのビルページの館長になっていただけますか?😄(小川朝子)
よくぞここまで調べましたね。素晴らしい!!ありがとうございます(柴田教夫)




