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神田橋第一ビル

東京/神田

東京都千代田区神田錦町1ー1

■レポート

今から50年前の1967年11月23日の勤労感謝の日、「ニュー八重洲ビル」から、「神田橋第一ビル」に引っ越しました。そして1972年8月26日に建設途中の本社ビル「西新橋ビル」に引っ越すまで、5年間という、当時創業以来の長居記録のビルです。ちなみに『かもめ』創刊は1971年8月、神田橋第一ビルの時代。
実は秦 政さんのコメントをキッカケに、神田橋第一ビルを撮影して投稿しようとしたら、OBの岡田悠一さんと根本啓一さんから「ちょっと待ったー!」「玉ちゃん(私)、間違ってる!」と。“神田錦町1ー1”を頼りに撮影したビルが、神田橋第一ビルではない!となり…。そこで改めて、根本啓一さん(1968年新卒)に同伴!? アテンド!?いただき、調査してきました。
なんと神田橋第一ビルは、現在、神田橋安田ビルと名称は変わったものの、1966年12月に竣工したまま、当時の先輩方が働いたビルがそのまま残っていました(地下1階+9階建て)。つまりその頃、建てられて約1年の新しいビルに入居したのです。当時のリクルートは、7階と9階に入っていたそう。根本さんと「関係者以外立ち入り禁止」という標識を横目に(昔~このビルで働いてたから関係者だ!と解釈)、ビル内に潜入。変わっていないロビーやエレベーター、駐車場の位置を確認し、9階と屋上に上がりました。「昔とは風景が違うなあ〜」と、50年ぶりの神田橋第一ビルの屋上で根本さん。
当時は住友商事なども入居し、地下には割烹「葵」、手狭になって近所の「長谷川第11ビル」に分室もあったそう。「商社マンとのタクシー争いによく負けてた、商社マンはすごかった!」「当時は忙しい時期と暇な時期があり、7月~8月は長い夏休みをとれた」「リクルートの労働組合闘争が激しい時期で、ほかの入居会社からクレームがあり、建設途中の西新橋ビルに急ぎ引っ越した」など、貴重なお話もたくさん伺えました。
1967年のリクルート(正式には「日本リクルートセンター」)は、売上約2億、社員数81人、1972年には、売上36億、社員数431人と記録があります(創業10周年記念誌『リクルートと私』より)、5年間で売上は18倍、社員数は5倍と、エビぞり急成長の時代でした。本当に兵どもが夢の跡〜。
「神田橋第一ビル」捜索にあたって、根本啓一さん、岡田悠一さん、
小川 朝子さん、Mieko Yoshizawaさんに大変お世話になりました! 先輩方、ありがとうございました!
ニュー八重洲ビル、大塚ビルなど、神話の時代のビル巡り、続けたいと思います。

・コメント

22才1.5ヵ月の私の入社はこのビルです。昼は時間ある時には近所の錦町食堂?(定食屋さん)に通っていたような・・・。ちなみにこの時代、近くの取引銀行さんはすぐ横の三菱銀行神田橋支店さんと駿河台下の三井銀行神田支店さん・・。いきなり思い出しました。新人時代、毎朝、銀行各支店さんに電話して口座番号を伝えて前日末の残高確認をしていました。想い出したのは三菱銀行神田支店さんの当時の当座預金口座番号「9004154」(とっくの昔に口座はないので出しても大丈夫ですよね)。(入村 道夫)

葵、確かに地下にありました。また、長谷川第11ビルは確か道路の向かい側にあったと記憶しています。いずれにせよ、大変懐かしく思い出されます。(秦 政)
秦 政 さん、長谷川第11ビル・・・はい。道路向かいでした。経理部門も一時このビルに、でした。台車に段ボール積んで信号で横断歩道を渡り・・・書類等は自分たちで神田橋第一ビルに運びこみました。(入村 道夫)


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かもめ時代のお宝博物館

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