■レポート
新幹線駅前にはリクルート、と言われるとおり博多駅前にももちろん、ございました 正確には博多駅から地下鉄ひと駅分あるのですが、普通は歩きます(笑)。福岡以外の方が福岡を南国と勘違いしてしまう元凶の、フェニックス並木の大博通り沿い。一階にはシュウウエムラだったかな? なぜか化粧品サンプルが素敵にデコられたテナントが入っておりました。このビルでの思い出といえば、事件の時に、受付前を埋め尽くした右翼のおじさまたちの鮨詰めを見たこと。いまだに私的最多右翼遭遇記録は破られておりません。そういえば天神ビルへ引っ越しの日、夜だったせいか通りを行くおいしゃんから”あらー、あんたたち夜逃げしようとね?”と声を掛けられ、なるほどそう取るか と思ったなぁー。(Keiko Inoue)
・コメント
その右翼の方々に対応したのが、当時総務課長の清水さんと私松本でした.会議室に入り、ずっと糾弾されていました・・・。(松本純一)
ある日清水さんが不在で、支社内にいたマネジャーが私だけで、臨時で対応したことがありました。応接室に1人が座って2人が立ってました。江副さん宛の手紙を大声で読み上げてテーブルの上に置いて帰っていきました。隣の部屋には博多警察署の刑事さんが来ていて、名刺は渡すな、手紙も受け取るな、と言われたのですが、その刑事さんの方が怖かった(加藤 恒久)
85年、広島から九州支社に転勤。その時は、大博多ビルにオフィスを構えてましたが、翌年に自社ビルが竣工するので、拠点総務として新卒中途採用兼務で、レイアウト図引いて、引っ越しの段取りして、と、ゼネコンの所長に鍛えられましたww 九州勧業さんとのジョイントだったので、正式名称は、確か、九勧リクルート博多ビル…だった記憶が。徹夜の移転後、SJ九州版の創刊、INSのAP設置、など激動だったよなぁ笑笑。有馬さん、W村上さん、鷲津さん、辻田さん…がマネジャーだった。(柴田教夫)
内定者の頃は大博多ビルでした。加藤さん、その後、花田さんが支社長でした。県庁転職前に、短Aとして生活費を稼がせて頂いた時は、もう、九勧リクルートビルでした。仕事の後、よく、みんなで、鉄鍋餃子で一献傾けてましたね!(礒田淳)

